医療の論文には、「症例報告」というものがあります。
一人、あるいは少数の患者さんに行った治療について、その経過をまとめて報告するものです。
大勢の患者さんを対象にした研究とは違います。
一人の経験だけで、
「この治療は誰にでも効きます」
とは言えません。
では、なぜ一人の患者さんのことを、わざわざ論文として残すのでしょうか。
私は、
自分が経験したことを、自分の中だけで終わらせないため
だと思っています。
どんな状態だったのか。
何に困っていたのか。
何を見て、どんな治療を選んだのか。
実際にやってみて、何がうまくいったのか。
何が難しかったのか。
途中で何を変えたのか。
そして最終的に、患者さんの生活がどう変わったのか。
そうしたことを残しておけば、いつか似た患者さんを診る人が、
「こんな方法もあるのか」
と考える材料になるかもしれません。
特に、患者さん一人一人の状態が大きく異なる治療では、教科書どおりにいかないことがたくさんあります。
口の形が違う。
残っている歯が違う。
動かせる範囲が違う。
傷あとの状態も違う。
そして、本人が困っていることも違います。
だからこそ、
「この装置を使いました」
だけでは、十分ではありません。
なぜその形にしたのか。
どこまでなら作れたのか。
何を優先したのか。
何を変えたのか。
使い始めてから、どんな調整が必要だったのか。
そこまで残して初めて、その経験は次の診療につながります。
もちろん、うまくいったことだけを書くのでもありません。
思ったように進まなかったこと。
途中で考え直したこと。
実際に使ってもらって初めてわかったこと。
そういう情報にも意味があります。
そして、症例報告を書く意味は、それだけではありません。
論文として外に出すことで、
「自分ならこう考える」
「こんな方法もあるのではないか」
と、他の先生と意見を交わすきっかけになることがあります。
私は、自分が選んだ方法が一番よいとは限らないと思っています。
自分では思いつかなかった方法を、誰かが知っているかもしれない。
もっと安全な方法。
もっと簡単な方法。
もっと患者さんの負担が少ない方法。
もっとよい結果につながる方法。
もし、そういう方法があるのなら、
患者さんのためになるのであれば、それを採用すればいい。
自分の方法にこだわる理由はありません。
症例報告を出すことは、自分の治療を「これが正解です」と示すことではなく、
「私はこのとき、こう考えて、こうしました」
と外に開くことでもあります。
そこから意見をもらい、自分の考え方や方法が少し変わることもある。
それも症例報告を書く意味の一つだと思っています。
また、記録は未来の自分にも残ります。
数年後に読み返して、
「あのときは、こう考えていたのか」
「今なら少し違う方法を選ぶかもしれない」
と振り返ることもできます。
一人の患者さんを診て得た経験は、そのままにしておけば、その患者さんと自分との間だけで終わります。
でも、きちんと言葉にして残せば、
次に似た患者さんを診る誰かへ。
他の先生との議論へ。
そして、未来の自分へ。
いろいろな方向につながっていく可能性があります。
私は、臨床で得たものを、できるだけそこで終わらせたくありません。
経験を残して、次につなぐ。
症例報告を書く意味は一つではありません。
そのたくさんの意味の中心にあるのが、この「つなぐ」ということなのだと思っています。

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