あっさりした別れにも、それなりの重みがある

長く通った施設での最後の訪問日も、案外あっさり終わることがある。
特別な挨拶があるわけでもなく、タイミングが合わず、そのまま別れることもある。もっと感傷的になるのかと思っていたが、実際には言葉にならないまま終わることも少なくなかった。

別れは、いつもドラマチックとは限らない

長く関わってきた場所との最後だからといって、必ずしも印象的な場面になるわけではない。
忙しさの中でタイミングが合わなかったり、挨拶をしようとしてもそのまま流れて終わったりすることもある。こちらが想像していたような「最後らしい最後」にならないことは、案外珍しくない。

けれども、それはその場に重みがなかったということではないと思う。

言葉にならない感情は、薄い感情ではない

もっと名残惜しくなるかと思っていた。
もっとはっきりした言葉が出るのかと思っていた。実際には、うまく言葉にならないまま終わることの方が多かった。

言葉にならないのは、何も感じていないからではない。
むしろ、簡単な言葉にしにくいからこそ、あっさりしたやりとりの中に残るものがある。感情が大きいからといって、必ずしもそれがうまく表現できるわけではないのだと思う。

ちょうどよい距離感の別れ方もある

長く続いた関係だからこそ、最後に何か立派な言葉を言わなければならない、と考えすぎなくてもよいのかもしれない。
その場その場で必要なことをして、静かに終わる。あっさりした別れ方にも、その関係なりの自然さがある。

「縁があったらまたどこかで会うかもしれない」。
それくらいの感覚で終わることが、かえってちょうどよい場合もあるのだと思う。

まとめ

別れは、いつもきれいに言葉になるわけではない。
あっさりした終わり方にも、その場なりの重みがあるのだと思う。

※この記事は「訪問歯科診療のたたみ方」シリーズの一部です。

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