訪問診療をたたむ数か月で見えたこと

訪問歯科診療を終える方向で動き始めてから、気づけば数か月が過ぎた。
業務を整理して引き継げば終わる、というほど単純な話ではなかった。患者や家族との関係、施設とのやりとり、自分の責任の置きどころ。終わりが見えてきたからこそ、普段は表に出にくいものが次々と見えてきた。

この数か月は、単なる業務整理ではなかった

訪問歯科診療をたたむといっても、やることは単純な整理だけではなかった。
終了を伝えること、引き継ぎ先を探すこと、家族や関係職種と話すこと、その都度必要な処置を見極めること。日々の診療の延長に見えて、実際には関係や責任のあり方そのものを問い直す時間でもあった。

普段は見えにくいものが、終わり際には見えてくる

診療が続くことを前提にしているときには見えにくかったものが、終わりが近づくにつれて少しずつ見えてきた。
患者や家族が何を期待していたのか。施設や他職種が何を担っていたのか。自分がどこまでを当然のように抱え込んでいたのか。訪問歯科診療を終える過程は、そうしたものを可視化する時間でもあった。

最後に問われるのは仕事の姿勢だと思った

何を優先し、何を次へ渡し、どこで線を引くのか。
撤退期には、通常時とは違う判断が求められる。それでも、必要なことまで雑にしないこと、曖昧な優しさで責任の所在をぼかさないことは大事にしたいと思った。最後まで当たり前のことを当たり前にする。その姿勢がいちばん問われていた気がする。

まとめ

訪問歯科診療をたたむ過程で見えてきたのは、特別な技術ではなく、仕事の根っこにある姿勢だった。
最後まで当たり前のことを当たり前にする。その難しさと大切さを、改めて考えさせられた。

※この記事は「訪問歯科診療のたたみ方」シリーズの一部です。

次の記事:
撤退期の線引き――手を引くのではなく、責任の範囲を絞り直す

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