「またね」が約束にならないことを、訪問歯科診療は何度も教えてくれる

次に会う約束をして別れたのに、その前に亡くなったと連絡を受けることがある。
元気そうに見えていたとしても、次があるとは限らない。その事実に、何度触れても慣れることはない。訪問歯科診療では、いつもの別れの言葉が、そのまま叶わないことがある。

次があるとは限らない

訪問診療では、次回の予定を決めて別れることが多い。
また次に会う前提で、その日の処置を終え、その日の会話を終える。けれども、その前提は決して盤石ではない。昨日まで元気そうに見えていた人が、急に体調を崩すこともあるし、次の約束の前に亡くなることもある。

それは訪問歯科診療に限った話ではないのかもしれない。
ただ、生活の場に入って診るからこそ、その変化の近さや、約束の儚さを強く実感するのだと思う。

「またね」は便利な言葉ではない

別れ際に交わす「またね」や「また次に」という言葉は、軽い挨拶のように見える。
けれども実際には、次があることを前提にした言葉だ。その前提が崩れることがあると知っているからこそ、何気ないその一言が、あとから急に重くなる。

だからといって、毎回深刻な顔で別れるわけにもいかない。そもそも別れ際に毎回そこまで考えていないことも多い。
それでも、次があるとは限らないと知っていることは、目の前の一回をどう扱うかに影響する。

その日の一回を雑にできない

次があるかもしれないから今日は適当でよい、という話には当然ならない。むしろ、次がないかもしれないからこそ、その日の一回をより一層丁寧に扱う必要がある。

もちろん、毎回特別な何かをするという意味ではない。
必要なことを必要な形で行い、短い言葉も含めて、その場を雑にしない。それだけのことなのだが、その「だけのこと」が難しく、同時に大事なのだと思う。

まとめ

次があることは、当たり前ではない。
だからこそ、その日の一回を雑に扱ってはいけない。訪問歯科診療は、そのことを何度も教えてくれる。

※この記事は「訪問歯科診療のたたみ方」シリーズの一部です。

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