訪問診療のたたみ方 最終回

最後の1件を終えて、ひとまず幕を下ろす

訪問診療の日程が、今日で終わった。

前半で2件、後半で1件。
こうして、自分自身の訪問歯科診療は、ひとまず幕を下ろした。

「ひとまず」と書くのは、今後またどこかで訪問診療に関わることがあるかもしれないからだ。けれど、少なくとも今回、この職場で担ってきた訪問診療はここで一区切りとなる。

最後の日の前半

前半の2件でも、それぞれにお別れの言葉をいただいた。

「今までお世話になりました」
「もう会えないのですか」

そう言っていただけるのは、ありがたいことだと思った。

うち1件は、少し前に義歯の修理をした方だった。本来なら、その日が最後でもよかったのかもしれない。けれど、修理してその後どうなのかを知らないままでは終われないと思い、こちらから提案して訪問した。

修理後は、「前より食べられるよ」と仰っていた。
それを聞いて、ほっとした。最後の最後に、ちゃんと食べるところまで見届けられてよかったと思う。

もう1件では、わざわざ菓子折りまで用意してくださっていた。
「今日でお別れは本当は困ります」と言いながら送り出してくださった。

こちらとしても心配な箇所はあったが、幸い大きな変化はなく、今日でひとまず終了できると思える状態だった。心配を残したままではなく、区切りをつけられる状態で終えられたのはよかった。

最後の1件

最後の訪問先は、永久歯への生え変わりの時期にある子のお宅だった。
前歯がかなりぐらついており、抜けそうで気になるから見てほしい、という依頼である。

もともと基礎疾患があり、以前から親御さんには、無理に処置せず自然に抜けるのを待つことも選択肢だと説明し、引き継ぎ先の歯科医院に後を託していた。私としても、その方針でいったん終了にしていた。

それでも、まだ私が在籍している間にお願いしておこうと思ってくださったのだろう。再度予約が入った。ありがたい気持ちはある。一方で、自然に抜けるのを待てば、本人が怖い思いをせずに済む場面もある、とも思っていた。必要な準備も含めて、最後にもう一度診ることになった。

「抜く」よりも「待つ」を選ぶことがある

家族は処置が不安だったのだろう、看護職の同席のもとで対応することになった。必要な準備も事前に済ませて待っていてくださった。

実際に見てみると、歯はかなり動揺していた。
そのため、強い侵襲を加えることなく、その場で抜去できた。止血も容易だった。

同席してくださった方は、あまりに短時間で終わったので驚いていた。もっと大がかりな処置を想像していたそうだ。

けれど、こういう場面では、無理に早く介入するより、自然に近い形で経過を見る方がよいこともある。引っ張れば取れそうなくらいの乳歯を抜くために、わざわざ子どもに強い恐怖を与えたくはない。だから、状況によっては、すぐ抜ける程度になるまで待つことも大切な選択肢になる。

これは、単に「何もしない」という話ではない。
無理に介入しない方が、本人にとって負担が少なく、安全で、結果として自然な経過に沿うことがある、ということだ。

さらに、今後ほかの歯が生え変わりで揺れてきたとき、今回のように都合よくすぐ対応できるとは限らない。その場合には、基礎疾患のことも踏まえ、自然脱落も重要な選択肢になることを、家族にも同席者にも改めて伝えた。

最後の訪問が、ただ処置をして終わる場ではなく、「今後どう考えるか」を共有して終える場になったのはよかったと思う。

最後まで、多職種連携に助けられた

同席してくださった方は、その場で私の話をメモし、処置後の状態も記録して、関係する医療者へ速やかに情報共有してくださった。
おかげで、こちらから改めて何人にも連絡する手間は省けた。

こういうとき、多職種連携は本当にありがたい。
単に「つながっている」というだけではなく、必要な情報が、その場で、適切な相手に、すぐ共有される。こうしたスピーディーな連携のありがたさを、最後の場面でも実感した。

訪問診療は、自分ひとりで完結する仕事ではない。
家族がいて、看護職がいて、主治医がいて、施設や支援者がいて、その中で歯科が役割を果たす。
この当たり前のことを、最後まで改めて思った。

「またね」で終わる

処置後、本人は痛がる様子もなく、けろっとしていた。
その場にいた皆がほっとした空気になっていた。

そして最後は、皆で別れを惜しみながら、「またね」と言ってお別れした。

訪問診療の終わり方として、とても象徴的だったと思う。
大げさな区切りの言葉ではなく、妙に湿っぽくもなく、それでいて軽すぎもしない。
「またね」という言葉の中には、本当にまた会うかもしれないし、もう会わないかもしれないという曖昧さがある。けれど、訪問診療の別れとしては、そのくらいがちょうどよいのかもしれない。

たたむとは、投げ出すことではない

この数か月、「訪問診療のたたみ方」として、いろいろなことを書いてきた。

引き継ぎの難しさ。
家族や施設とのやり取り。
急な変化や、想定どおりに進まない現実。
気持ちよく終われるケースばかりではないこと。
それでも最後まで、自分の責任の範囲をどこに置くかを考え続けること。

たたむ、という言葉は、どこか冷たく聞こえるかもしれない。
けれど実際には、たたむとは投げ出すことではない。
終わると決まったあとも、必要なことを見極め、無理に広げず、責任の範囲をその場で完結できるところに絞り直しながら、ひとつずつ区切っていく作業だった。

最後の最後まで、自分が見た方がよいと思う人を見て、伝えた方がよいことを伝え、つないだ方がよい先へつなぐ。
その積み重ねの先に、今日があったのだと思う。

ひとまず、終わり

こうして、私の訪問歯科診療はひとまず幕を下ろした。

寂しさがないわけではない。
もう会えないのか、と聞かれて、何も感じないはずもない。
それでも、今日までやるべきことをやって、最後の1件まで無事に終えられたことを、今は素直によかったと思っている。

訪問診療を続けることだけが責任ではない。
終えると決まったときに、どう終えるかもまた責任なのだと思う。

このシリーズが、いつか同じように訪問診療をたたまなければならなくなった誰かにとって、少しでも参考になればうれしい。

そして私自身にとっても、これはひとつの記録として残しておきたい。

最後は、あの場と同じ言葉で締めようと思う。

またね。

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