修正したからといって、改善したとは限らない

文章でも、研究計画でも、講義資料でも。

何度も直していると、つい「最新版がいちばん良い」と思いたくなります。

でも、最近あらためて感じることがあります。

修正したからといって、必ずしも改善したとは限りません。

文章を短くしたら、読みやすくなることがあります。

でも、必要な説明まで削ってしまえば、わかりにくくなることもあります。

表現をきれいに整えたら、見栄えは良くなるかもしれません。

でも、そのせいで本当に言いたかったことが薄くなってしまうこともあります。

図を整理したら、すっきりする。

その一方で、もともとあった大切な情報が消えてしまうこともあります。

つまり、

「変えた」という事実と、「良くなった」という評価は別のものです。

これは当たり前のことのようですが、実際に何度も修正を重ねていると、意外と見失いやすい気がします。

新しい案が出ると、それだけで少し良くなったように感じる。

文章が整うと、中身まで整理されたように感じる。

ページがきれいになると、内容まで洗練されたように感じる。

でも、そこで一度立ち止まって、

「前より本当に良くなったのか」

と比べてみる必要があります。

場合によっては、前の表現に戻した方がいいこともあります。

一度削った文章を復活させた方がいいこともあります。

最新の案を捨てて、二つ前の案を土台に作り直した方がいいこともあります。

修正回数が増えたからといって、完成度が上がるとは限りません。

だから最近は、「どれだけ直したか」よりも、

最終的に何が残ったか

を見るようにしています。

研究計画なら、本当に調べたいことが残っているか。

論文なら、本当に伝えたいことが伝わる文章になっているか。

講義資料なら、学生にとって必要な内容がきちんと残っているか。

見た目が整っていても、中身が痩せてしまったら意味がありません。

外から立派に見えるだけで、中身が伴っていない。

そんなものを自分で作ってしまったら、以前書いた「張子の虎」とあまり変わりません。

修正すること自体が目的なのではなく、

良いものにするために修正する。

だから、直した結果として悪くなったなら、戻せばいい。

せっかく手を加えたのだから残したい、という気持ちにこだわる必要もありません。

大切なのは、自分が何回直したかではなく、

最後にそこにあるものが、本当に良いかどうか。

それだけだと思っています。

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